大学時代と思い出、ありがとうの話
こんにちは
大学時代のコピバンの音源が発掘されたことによって懐かしい気持ちになったので自分語りさせていただきます。
私札幌大学というFランオブFランの大学に通っておりまして英語学科でありました
将来の夢は英語教師でありまして、高校の時の臨時講師の授業が楽しくて目指そうとしたわけですが色々なことがありそうで、ないのですが普通に諦めました。
夏休みにわざわざ大学に通わせる神経を疑う。大学側が悪い。と思ってる。
小学生から高校までバスケ部。10年近くやったけどあんまり上手ではなかったかもな。でもかけがえのない友情と努力と勝利って感じ。イイ成績も残したこともあるし楽しくやらせてもらった。
だけど音楽がやりたかったんだよな。高校から音楽ってのは学祭のコピバン程度にはやってたけどサークルとか入ってちゃんとやりたかった。外でやる勇気はまだない。
そこで大学の初登校日、真っ先に声かけてくれたのが「みんぞくおんがくけんきゅうぶ」
は?
民族音楽はまだ通ってなくて…
よくある勘違い。「民俗音楽研究部」
要は「流行りの音楽のサークル」でした。名前で敬遠するって、民族はみんな一回考える。
誘ってくれたダイキさん、ドラムが激うまでした。色んなことがあって疎遠になったりもしたけど話も面白ければ音楽の趣味も合う最高の先輩でした。今こそまた会いたい。書いてて会いたくなったので今度誘おうと思う。
そのサークルは一年必ずやり通すバンドを組みます。幽霊部員を作らないシステム
民俗音楽研究部その年の最初の部員、俺。
先輩とも仲良くなって一緒に組もうと思えば組めたりしたと思うがヒヨりまして、「1年生でバンド組まなきゃあかん」という固定概念からド素人の2人を誘ってバンドを組みます。通称「梅」と「お湯」です。元気かな。
3ピースバンドやって歌もギターも頑張ろうと思ってた俺。ACIDMANのコピバンを結成。
その名も「GAZE」
ゲイズ
なぜかというと俺が先輩と仲良くしとうて一生懸命懐いてたら「ゲイかよ」ってなっておねえのキャラでやってたら定着しちゃってゲイズ
ゲイ's
さすがにカッコ悪いから…GAZE「見つめる」
それもそれでキショいな
後にこのバンドは1年という括りを超えて4年やり続けます。好きすぎだろACIDMAN
4年で何曲コピーしたかわからん、50くらいはコピーした気分。
あの時の俺、ACIDMANと対バンすることになるんだぜ
フェス終わりの打ち上げでツーショット撮ってもらえるんだぜ
その他にもセッションバンドっていう括りでやるライブがあって夏休み中とかにやってたんだけどそういうのはほぼ一回きり。たくさん色んなのやったな。syrupとかもその内の一つ
何個かあげるとテナー、9mm、バックホーン、amasarashi、you said somethingなどなどでした
あとは別サークル、普通に軽音部とかアビーロード研究部、ジャズ研、ファニーカンパニー(以後ファニカン)(んで後のthe hatch)ってのがあってな
軽音部とはフジファブリックを一緒にやったりしたな。んでファニカンにハッチのりょうけんさんとかザキヤマさんがいて、色んな交流を深めていくわけ
the hatchのりょうけんさんがそのときからバチバチに上手くて初めて会った時に「お前はバンドやった方がいい」って言ってくれてちゃんとしたバンドってものをやるキッカケを作ってくれたんです
覚えてるかな?覚えてないと思うけど感謝してます。
話を戻すと民音(民俗音楽研究部)でだいぶ肩をイキらせた生活をしてたのですがヨウジも札大だったからそこでひょんな出会いがあってFlooded Floor、そしてThe Floorが生まれていくわけです。
たまにラジオとかで名前が出るトアキってやつも民音の後輩です。
いまだに仲良うさせてもらっておりまして、俺とハヌマーン、バズマザーズのコピバンでドラムを叩いてくれてました。
マイメン過ぎてずっとあいつの家にいたかも
カーテン壊したり家荒らしたり散々な先輩な私でしたが仲良いのなんでやろな????
そんなハヌマーンのコピバンは2年やってました。20曲くらいはやったんちゃうか?スリーピース好き過ぎかって
「楽しかったな、マジで。」って感じ
いい先輩、いい後輩、同期
クソみたいな先輩、クソみたいな後輩、同期
色んなやつがいた!バカばっかり!
それが好きだったし俺ももちろんバカだった!
喧嘩もしたし死ぬほど飲んだし恋愛もしたし青春そのものだったと言えらあな。
今でも思い出す度嫌いだったな〜って思うやつもいれば、どうしてもまた会いたい人もいる。
俺の人生には欠かせない時間だった!
あの日々がなければ音楽が少し好きなだけの人間で、バンドなんかやらなかったと思う。
どちらが幸せだったかみたいなくだらない考えにもなったりもしたりするが、後悔はない
今も思い出して最高だったと言える思い出と、今もバンドに夢を見ている現状が嫌いじゃねーから
たまに「フロアのコピバンやりました!」って言ってくれる子がいる。
実際かーなり嬉しい。バンドをコピーしたいと思うってかなり好きってことだと思うんだ。じゃなきゃわざわざやらん。
ライブならではのアレンジ入れてみたり自分ならどうするかみたいなことたくさん考えてやってくれてると思う。俺もそうだったし。
楽しいよな。マジで。それを少しでも提供できたなら俺も憧れたなにかになれたのかなって思える。
そう思いたい。信じたい。
たくさんの思い出、あの頃の憧れ、バカみたいな失敗、わけわかんない失敗、失敗、失敗…酒…失敗…
今も変わらないかもしれない。今も思い出と憧れを夢見て失敗を繰り返して前に向かおうと足掻いている。
俺はずっとあの頃の気持ちのまま、心のまま
子供なんです。でもだから夢を見れている。
夢をまだ見させてください
今夜はいい夢を見ようと思います
思い出に乾杯
おやすみなさい